岸優太を哲学したい

映画オタクが岸くん沼にはまるとこんなことを考えますの典型

私に春をもたらす「なのはなイエロー」

彼の色は「ひまわりイエロー」と称されているけれど、私はこっそり、心のなかで「なのはなイエロー」と呼んでいる。髙橋海人くん。私にとって彼の存在はささやかな心の灯であり、誰よりも柔らかく私のの心を解きほぐしてくれる、まさに「春の歓び」みたいな人。


〝春〟といえば黄色がよく似合う。春の代名詞となりうる花も、考えてみれば黄色いイメージを持つものはたくさんある。タンポポスイセン、チューリップ。心を晴れやかにしてくれるポップなその色彩は、〝春〟という季節をわかりやすく忠実に、私たちの頭のなかにイメージされている。

私が彼をイメージするのも、決まってその色だった。もとより黄色がイメージカラーの彼ではあるけれど、それ以前に彼は春生まれの人だ。21年前、きっと小さな体いっぱいに春を浴びながら生まれてきた人。まさしく春にふさわしい人。だからこそ私は、他の誰もきっとあらわすことのできない「春の歓び」こそ、髙橋海人くんそのものだと思っている。


心が寒くなり、ふさぎ込んでしまっていたところに、ふっと息を吹き込むように明るい色をともしてくれる。先陣を切って、まだ肌寒い世界に飛び込んで、鮮やかにかわいらしい花を咲かせてくれる。

蜜を求める生き物たちはその存在に命を繋げ、可憐な美しさに心惹かれる私たちはその景色を瞼の裏に焼きつけて幸せに浸る。小さなものから大きなものまで、余すことなく魅了する。風に小さな花びらを揺らす姿はささやかにものびのびとした無邪気さが感じられ、一面に咲き誇る姿にはあまりの優美さに目を奪われてしまう。

菜の花の花言葉は、「小さな幸せ」「快活な愛」「希望」「活発」「元気いっぱい」。子どものように天真爛漫なふるまいで、いつでも無邪気に笑いをこぼす彼に、その言葉たちは驚くほど自然となじんでいく。普段、彼が私たちに見せてくれる姿は、こんなにも綺麗にその言葉たちによって言い表されてしまう。


つらい時にこそ、悲しい時にこそ、暗くなってしまった時にこそ、私の世界に明るさをもたらしてくれる大好きな黄色。強烈な鮮やかさでもない、沈んだトーンでもない、ほどよく優しく、ほどよく温かい、まさに私にとっての「春の歓び」を与えてくれる人。

いつまでも咲き誇っていてほしい。春が過ぎて、夏が来ても、秋を越えて、冬になっても、いつまでもいつまでも私の心で咲いていてほしいし、私の大切な人の心でのなかでも咲き続けてほしい。彼が枯れそうな時には水を注ぎたい。飛ばされそうな時には、身を呈して風よけになりたい。そうしてずっと守っていきたい、それほど大切でかけがえのないもの。


彼が花を咲かせれば、笑顔になれる人がいる。元気をもらえる人がいる。その花を待っている人は、この世界に数えきれないほどたくさんいる。

その期待にすべて応えようと、懸命にあちらでもこちらでも花を咲かせようと頑張りすぎないでね。あなたは素敵な黄色の人、唯一無二の春の花。だからどうか、しおれそうな時も、倒れそうな時も、ひとりで力尽きようとしないでね。少し大人で少し子ども。麗しくも可憐に春を彩る、あなたはいつまでも私にとって大切な「なのはなイエロー」なのだから。
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エースが背負う「かばん」と、最年長が抱える「かばん」

「変化」は「お守り」のようなもの、と彼は言った。

 

デビューして一年。MOREで取り上げられた特集の見出しは「Change it! 変わり、変わらず、変わらせず」。自分たちでは変わることも、変わらないことも、恐らく全く意識できなかったであろう躍動の一年を経た彼らにつけられたコピーは、非常に興味深いものだった。

 

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「今の自分に満足していないからこそ、僕は常に『変わりたい』と思っています」

 

この時期、何度も提示されたであろう「変化」というテーマの中で、岸くんは淡々とそう語っている。「変わりたいけど、変われない」。まるで、ジレンマという名の砂漠をさ迷い歩いているかような彼の言葉に、いつかドキュメンタリー番組の中で一心不乱に踊り続けていた彼の姿がぼんやりと浮かんだ。
彼の「変化」に対する概念には、彼が持つ、常に現状に納得しないストイックさにどこか重なるところがある。「場数」や「経験値」という単語を幾度となく口にしてきた彼が、貪欲に追い求めてきたもの。それこそが「変化」、いわば「成長」であり、彼にとって何かに挑戦し続けるために必要な、精神的支柱となっているのかもしれない。

 

だからこそ喩えられた、彼にとっての「お守り」。「変わることができた」という達成感があるからこそ自分を鼓舞し、前に進んでいくことができる。それは彼の身に置き換えて言えば英会話。そして筋トレ。演技の仕事があれば一日に何本も狂ったように映画を観るし、宇宙に関するテレビ番組の出演が決まれば天文学について寝る間も惜しんで勉強する。彼はそういう人だ。それができる人だ。これまでそれを後押しする原動力になってきたのが、彼が求め続けている「変化」だったのだろう。

 

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対して、我らがエース・平野くんの「変化」の概念は、岸くんとは全く異なっている。

 

「僕にとって、『変化』は怖いもの。ずっと『変わらない自分』でいたい」

 

私が思うに、平野くんはずっと、ありとあらゆるものがめまぐるしく変わる環境に身を置いてきた人だ。自分の身の回りのものが変わりゆくことは、嫌がるものでなく、拒むものでもなく、「怖いもの」。それは家族だったり、友人だったり、大切な人との出会いと別れでもあったし、グループや、拠点や、自分が身を置くコミュニティの移り変わりでもあった。環境とともに変化する自分への接遇の違いにも、ひどく心を痛め続けたに違いない。
変わりゆく世界に身を投じ、彼が抱いた理想はあまりに質素。ただ、「変わらない」こと。シンプルにたったひとつそれだけなのに、これから時代のアイコンを担って生きていく彼にとってそれがいかに難しいことなのかと思うと、非常に胸が痛くなった。しかし、彼は賢いので、そうした自分の使命や存在意義を理解したうえで言葉にしているのではないか。そう思うとよりいっそう切なくて、もどかしくて、彼が愛しくて愛しくて仕方なく思えた。

 

「変化」よりも「いつまでも子供心を忘れない大人でありたい」という夢を嬉しそうに語る彼にとって、「紫耀はいつまでも変わらないね」そんな何気ない一言こそが、最高の誉め言葉であり、また、いつだって自分を安心させてくれる魔法の呪文にもなるのだろう。

 

「ずっと『変わらない自分』でいたい」と「変化」を恐れるエースに対し、「いっそ『生まれ変わりたい』と思うほど」と「変化」を渇望する最年長。この対比は強く印象に残った。
「変わりたくない」と思う人間と「変わりたい」と思う人間がいて、それはどちらも前向きで純粋で真っ当に相違なく、どちらが正しいなんてことはない。ただ、同じ環境に身を置く者どうしが「変化」というひとつのテーマに対してこんなにも対極の思いを抱くのか、と興味をひかれたことは確かである。

 

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ふたりのテキストを読み比べているうちに、私の頭の中に「ポテンシャル」と「スキル」というふたつの単語がふいに浮かび上がってきた。似ているようで、全く異なるふたつの言葉。まるで、すぐそばにあるのに、川を挟んで向こう岸にあるような距離感を持ったこの言葉たちが、彼らのテキストからじわじわとあぶりだされてくる感覚だった。

 

「ポテンシャル」とは、簡単に言えば潜在能力のことである。誰もが本質的に持っているもの。そして、何かしらの作用によって引き出されるもの。対して「スキル」とは、自身の鍛錬により獲得していく能力のことである。いわば先天的なものと後天的なもの。人が持つ能力としては同じだが、対となるような意味合いを持つ。

 

たとえば岸くんは、自身の「ポテンシャル」にすこぶる自信がない人なのだろうな、と思う。(と言うと、生粋のオタクであるが故、「そんなことない」「岸くんはすごい」「生きてるだけで勝ち組じゃん」と彼を肯定する台詞が瞬く間にいくらでもこぼれ出てくるのだけれども、ここではいったんそれを置いておくことにする)
生まれてからずっと肌身離さず持ち歩いてきた「自己」というかばんをひっくり返しても、きっと岸くん本人が「欲しい」と熱望していたものはなにひとつそこにない。私たちにとっては眩しくて、羨ましくて、世界にふたつとない宝物ばかりだとしても、持ち主の彼にしてみれば、きっとそれはただのガラクタにすぎない。私たちには中身に必要なものが十分すぎるほど揃っているように思えても、やはり持ち主の彼にしてみれば、まだまだ足りない、満たされない、と感じるのだろう。
だから彼は、そのかばんをどうにかいっぱいにしたいと思っている。これ以上入らない、というほどにかばんが膨れてパンパンになってしまうまで、自分が「欲しい」と思ったものを彼はもっとたくさん、溢れんばかりに詰め込みたいのだ。
彼は自分の「ポテンシャル」に自信がない。だからこそ「スキル」で身につける過程の経験値と結果の達成感を、この世の何よりも信じて生きている。

 

対して平野くんは、「ポテンシャル」で勝負しようとする人だ。それはひとえに彼自身の「ポテンシャル」が高いからこそ為し得る芸当ではあるけれど、だからといって彼がおごったり、それをひけらかしたり、ということはまるでない。もしもそれが不完全であっても、彼は笑ってまるごと認めることのできる寛容がある。
たとえば、平野くんの「自己」のかばんの中身は、人がうらやむものであふれている。しかし、恐らく彼は、その中身がいかにみすぼらしいものだったとしても、すっからかんだったとしても、それを恥じたり、憂いたりはしないだろう。知恵を絞ってかばんに入っているものだけで生き抜こうとする。「スキル」を求めて買い足すことも時にはあるけれど、今あるもので充分だ、と満足できる人なのだと思う。
彼は「ポテンシャル」に頼って生きている。「スキル」の必要性も理解したうえで、その強さを持っていながら、変わりゆくこと、移ろいゆくものにひどくおびえている。

 

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「あなたはずっと変わらないね」
「最近、なんだか変わったね」

 

誰に対してももたらされるであろう、ありふれた一言。それが誰かにとって「お守り」になることもあれば、凶器になってしまうこともある。不思議だと思う。誰かはそれを喉から手が出るほど欲しがるし、誰かはそれを振りほどいてでも引き離そうとする。

 

「変化」っていったいなんなのだろう。

 

生きていくうえで逃れられないもの。ずっと付き合っていかなければならないもの。どれだけ願っても、一生「変わらないもの」などない。それくらい、どんなに小さな子どもにだってわかることだ。
だからこそ求めるし、恐れる。この先いつか、岸くんが「変わりたくない」と口にすることがあるかもしれないし、平野くんが「変わりたい」と口にする日が来るのかもしれない。とても考えられないようなことだけれど、絶対ないとは言い切れない。だって、それこそが「変化」なのだ。求めようが、恐れようが、意図しようが、しまいが、誰しもに降りかかるもの。私たちにも彼らにも、必ず分け隔てなく与えられる「変化」。そして、与える「変化」。

 

変わり、変わらず、変わらせず。一年経っても、二年経っても、それは必ず訪れる。彼らのかばんの中身は明日にはどんなふうに入れ替わっているのか。三年目を心待ちにしている。

 

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(MORE 2019年 8月号より引用)

不器用なピューリタンに愛の言葉を

私にとって、岸くんの言葉はいつも哲学である。


どうにか紐解こうともがいても、彼は簡単にはその真意を探らせてくれない。プライベートの写真を載せながら「自分だけの宝物を見せちゃうみたいで、みんなと共有したくなかった。けど、見せる気になったので」と言葉にするように、自他ともに認める〝グループ一実生活がミステリアスな男〟であるように、彼は大切なことはいつも密やかに自分の心の奥だけにしまっている。私たちに見せようとすることはほとんどない。私たちはそれが現れてくれる貴重な瞬間を、ただひたすらにじっと待つだけだ。


それは〝皆のために存在する岸優太〟と〝皆のために存在しているわけではない岸優太〟の境界線なのだろうと思う。彼なりの基準でつくられたそれは、曖昧で不確かなように見えて、思いのほか整然と線引きされている。確固たる信念に基づいて引かれたであろう岸くんの境界。大切なことをその向こう側にたくさんしまうので、ときどきその端くれが気まぐれにぽろりと零れ落ちてしまうことがある。

私たちはそれを拾う。じっとおとなしく待ちわびた末に、岸くんが思いがけず取り零したそれを、壊さないように、つぶさないように、私たちは大切に丁寧に拾い上げる。そして想像する。岸くんのなかで、境界の向こう側で、この欠片はいったいどんなふうに育まれてきたのだろうか、と。


「この先、例えば、本当に人生山あり谷ありですけど」


彼は真っすぐな目でカメラを見つめ、前置きしてから語り始める。「自分の目標に突き進まなきゃいけないし、」そう言って何かを提示するように片手を動かし、「もっと人を喜ばせなきゃいけないし、」同じようにまた、もう片方を提示する手振りを交えて話していく。そこでふと言葉を切った彼は、少し上前方、どこか遠くを見据えるように目を細めた。

「しまいには、」そして半呼吸を置いたのち、彼はさらに言葉を続ける。


「生き続けなきゃいけないしっていうか」


彼は自分自身に言い聞かせるようにして、何度も小刻みに頷いた。「人生において、」そう言って視線を落とす。「大切な言葉だと思いますね、なんか」言葉を選ぶように語尾を濁して締めくくった彼の表情が、どこか苦々しくゆがんで見えた。


〝Show must go on〟彼らの身体に何よりも良く染みついたその言葉は、外国語であるが故、日本人にはその意味の捉え方に少しずつ差異がある。広義的には同じ意味をもつとしても、その奥にひそんだニュアンスはひとりひとりどこか違っていたりする。

King & Princeが語る〝Show must go on〟。ショーは続けなければならない、そこに続く言葉が、それぞれ皆異なっていた。


ショーは続けなければならない、自分の使命を果たすべく。海ちゃんが言う。
ショーは続けなければならない、その意味を探し続けながら。廉くんが言う。
ショーは続けなければならない、皆を明るくするために。神宮寺くんが言う。
ショーは続けなければならない、それが平和の象徴だから。紫耀くんが言う。


それぞれの〝Snow must go on〟があった。

ただ、私は岸くんの〝Show must go on〟に、逃れられない宿命に似た負荷なようなものを感じていた。


突き進まなきゃいけない。喜ばせなきゃいけない。生き続けなければいけない。彼が立て続けに口にした「しなければいけない」。「must」の単純な和訳。自身に課した強制。それは、岸くんの意識のなかに、間違いなく色濃く存在している。


ショーは続けなければならない、いかなる理由があろうとも。

岸くんにとっての〝Show must go on〟は、私にはそんなふうに聞こえた。


わたしは岸くんがそうして自分に負荷をかけることを、不安に思うことは不思議とあまりない。それが彼の昔からのスタンスであり、だからこそ「must」の強制を自分の人生にも投影することができる人だ、と常々思っているからだ。

同じ番組で、いつかの岸くんの姿が脳裏に浮かんだ。鏡に映る自分自身に鋭い視線を投げながら、周囲の声も聞こえなくなるほど懸命に踊り続ける。その姿に、精悍な横顔や、濁りない目や、逞しくも華奢に映るその背中に、「とにかく動いていないと、血液が回らなくてダメな感じがするんですよね」という言葉を思い出す。彼はさながらピューリタンのように禁欲的で実直だった。病的に自分を戒めながら、自身の成長を信じて猪突猛進に進んでいく。

自身を馬だと卑下する彼の姿勢は、時に周囲から「ストイックだ」と評される。しかし私には、「自分は甘えてしまう人間だから」といつも意図的に自分に課題を設け、苦しみ、戒めているように思える。自分に何かを課さないと、自分は甘えてしまう人間だから。どれだけ頑張っても、その成果が如実に顕れても、決して納得しないのは、そこで終わらせてしまえば、自分が甘えてしまうから。

自らを鼓舞してあげなければ、自分は甘えてしまう人間だから。


メンバーが出演する「Johnny’s Island」を観劇したあとの舞台裏、静かにきれいな涙を流していたことがまるで嘘のようにカラッとした笑顔で、「良かったよ、ソウルだったよ」と口にする。彼が口を開けば、その空間には笑顔が広がる。それが自分の役目だと知っているから、彼は自身の役目を全うする。

〝皆のために存在する岸優太〟であるために。

暖簾の隙間から覗く彼の飾り気のない横顔に、「しなければならない」を背負って生きる人生の覚悟が見えた気がした。


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だからこそ私は、「しまいには、生き続けなきゃいけないし」とそのとき口にした彼の真意を、あの日からずっと考えている。彼が「生き続け」ようとする対極にあるべき死というのは、岸優太というひとりの人間の生命が絶たれることを意味するのではなく、〝皆のために存在する岸優太〟として生きていく意義を失うことではないかと思っている。私たちの前に存在している限り、彼は〝Show must go on〟という言葉を自身の人生に重ね続けるのだろう。


ショーは続けなければならない、いかなる理由があろうとも。
岸優太は生き続けなければならない、いかなる理由があろうとも。


そんな境界線の向こうの声が聞こえてくるような気がした、そんな言葉だった。


「しまいには、生き続けなきゃいけないしっていうか」

岸優太が知ってる「私らしさ」と秋の幻

朝晩たっぷりと冷やされた、つんけんしたような澄んだ空気のなかに、ぼんやりとしたぬくもりの日差しが降り注ぐ秋の陽気が好きだ。歩き出して向かい風が吹けば晒された肌がひんやりするし、立ち止まって日差しを浴びていると身体はぼーっと熱くなる。


「Koi-wazurai」を聴いた。


koi-wazurai(初回限定盤A)(DVD付)

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  • アーティスト:King & Prince
  • 発売日: 2019/08/28
  • メディア: CD
koi-wazurai(通常盤)

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  • アーティスト:King & Prince
  • 発売日: 2019/08/28
  • メディア: CD


言い訳するわけではないんだけれども、夏の終わりは個人的に忙しかった。それはもう大変に。仕事も、プライベートも。気持ちが常にざわざわしていて、よくあの時期をフラットな状態で乗り越えたなと思い返して自分に恐れおののく。


それもこれもキンプリさんたちがいてくれたおかげ、と言いたいところだけど正直まあそうも言い切れなくて、というのも、気持ちに余裕がないときにはあまりオタクごとに気を向けられない性分なので、率直に言えば「なんできみたちはこんなときに新曲出すの!?こんなにプロモーションするの!?この番宣祭りと雑誌祭りはいったいなに!?!?」という気分ではあった。八つ当たりしていた。本当にすみません。


まあ、そんなひとときもゆるやかに過ぎ、いまやっと心して「Koi-wazurai」に身を落ち着ける時期が来た。
何度も聴いた。リピートして聴いた。



「わたしらしさ」を知っている岸優太、ってかなりしんどくない?



岸くんのパートが何度聴いてもとにかくしんどくて、それこそ「うっ!」とハートを撃ち抜かれたような気分になるのですが、それっていったい何が原因なんだろう、と突き詰めたときにこの歌詞が目に留まったのです。

投げた視線そらすなんて
君らしくない


〝君らしくない〟って岸くん言うけど、じゃあ「わたしらしさ」っていったいなに? 岸くん知ってるの? わたしですらまだ気づいていない「わたしらしさ」というものを、「まあおれは知ってるけどね」と言わんばかりにマウントとってくるその感じ、これってとてつもなくしんどくない?


そもそも〝投げた視線そらすなんて〟と岸くんに歌わせる時点でどうかしてる。オタクを殺しに来てる。あの顔を想像しながらその声を聴き、このフレーズを噛み締めていたらそんなの唐突に恋がはじまるに決まっている。
岸くんに〝視線〟を〝投げ〟るんですよ、お前はどんだけ高飛車だよ、おこがましすぎるんだよ………でもわたしはその視線をそらしてしまう。恥ずかしいからね。岸くんのお顔は尊いから、ずっと見つめていられるわけがないからね。


……〝そらすなんて〟?


そらす、なんて。それってつまり、岸くんはわたしが〝視線〟を〝投げ〟たところも〝そら〟したところも、最初から最後までずっと見ていたってこと? 岸くんが? わたしのことを? わたしは岸くんにずっと見つめられっぱなしだったの?


これってもうほんととてつもなくしんどくない?


さりげなく岸くんを見つめて、やっぱり恥ずかしくなったからってそっぽを向いて。その一部始終を知っている岸くんは、つまり、ずっとわたしのことを見つめていて。そのうえでわたしの行為を〝なんて〟って言う。その副詞はあまりに拗ねがちだし、「ちぇっ」と唇を尖らせる岸くんを思い描いてKoi-wazuraわないはずがないし、そもそも岸くんがそんな些細で麗しいフレーズを発することでその意味の尊さはどんどん増していく。どちらさまですか、岸くんに〝なんて〟の三文字を言わせた方は?


そこでさらに〝君らしくない〟なんて続けるもんだから、わたしはもうその場から立ち上がれないし岸くんのほうなんてとてもじゃないけれど見られなくなっちゃうよね。そっぽ向いたままだよね。お願いだからこっち見ていないでって思うよね。



そこで唐突にわたしの脳裏を掠めゆく「Naughty Girl」


気まぐれ My girl こっち向いて
からかわないで!


いや無理だろ! 見られない! こっち向けるわけがない! からかってない! からかってないけど、見られないんだもん! こんな顔見せられないんだもん! 好きだよ! 岸くん! 好きすぎるんだよお!!!… とわたしは膝からぺたりと崩れ落ち、まるですがるような気分になってしまう。ああ、どうしよう。わたしは路頭に迷った。いったいわたしは何にすがったらいいんだ。


ふと顔をあげた。そして、思わず目を細める。目の前に広がるのは、白く眩しい太陽光だった……
つんとそっぽを向いたような冷たさの空気を、じわじわと照らしてくれる穏やかな秋の日差し。そこにはもう、頭を抱えた紫耀くんも、神宮寺くんも、不安げな海ちゃんも乙女な廉くんもいない、もちろん、「わたしらしさ」のなんたるかを知って気にかけてくれる岸くんなんてもっといない。


秋の幻だ、と思う。夏の終わり、まだ夏が名残惜しい欠片たちが、秋色の日差しの下で気まぐれに見せてくれた幻だったのだ。わたしは目を閉じる。かすかな秋の匂いが鼻を掠めて、ああ、ついに夏は終わってしまったんだな、と妙なセンチメンタル感を覚えた。かすかなもの寂しさに片足を浸したような気分で、わたしは、秋の匂いを鼻いっぱいに吸い込んだ。



よし、「Koi-wazurai」を聴こう。

平野紫耀をルーブル美術館に飾ろう

盂蘭盆がすぎて、めっきり涼しくなったような気がする。

蝉の鳴き声が変わり、突き刺すような日差しは鋭さを失った。向日葵は花弁を枯らし、吹き抜ける風はどこか肌寒くなった。夏の終わり、それは秋の気配とともに少しずつわたしたちに近づいてくる。そう、映画「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」の公開日である。

 

デビュー発表会見から早一年半。平野紫耀は、もはや恋愛漫画のヒーロー役が代名詞になったと言っても過言ではない。デビュー前に撮影に入った「honey」にはじまり、デビュー後初主演作となる「ういらぶ。」、そしてここに来て三作目が「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」。

これまで福士蒼汰山崎賢人という若手イケメン俳優たちが少女漫画のヒーロー役を完璧に忠実に演じきり黄色い声援を浴びてきたけれど、彼もまた、あまたのイケメン俳優の先輩たちが敷いて走ってきたレールの上を同じように走り出したように思う。令和の時代、次世代を担う新たなイケメンヒーローは、もしかすると名古屋が産んだスーパー天使ちゃん「平野紫耀」なのかもしれない。

 

ただ、わたしもバカではないのでそんなことはわかりきっていた。デビューするという意味を嫌でも顕著に思い知らされた「ういらぶ。」での怒涛のプロモーション活動×ありとあらゆる媒体を駆使してキャスト陣が宣伝に明け暮れた「ニセコイ」と同じ東宝バック。この掛け算が“公開日前後に平野紫耀を見ない日はない”状態になることなんて日を見るより明らかだった。だから、そう、わたしがあまりにも迂闊だったのだ。

 

軽い気持ちで書店に足を踏み入れ、安易に雑誌コーナーを覗き込んでしまった。それが迂闊だった。そこに並び飾られた雑誌たちがわたしに向かって勢いよく振りかざしてくる、圧倒的な美の暴力。「平野紫耀」というこの世で最も美しい四字熟語に、造形美をそのまま体現したような彼の顔面が飛び込んできた。

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時が止まったんだと思った、貼りつけられたように足は動かなくなり、思わず「はあ」と声にならないため息が漏れた。バッグを落としそうになるのをなんとか堪える。

学生時代、「女子とはほとんどしゃべったことない」と言っていた微笑ましいほどウブなエピソードは、彼の素顔が実はメデューサであったという神話に基づくと先日つぶやいたけれど、紀○国屋の真ん中で一ミリも逸れることなく真っ直ぐにこちらを見つめてくる彼を前にしたオタクは、さしずめメデューサによって石へと変えられた愚かな人間に他ならない。そしてもちろんそのときのわたしは例に漏れない。

 

なんというか、美しさに魅せられて動くことすら忘れてしまうし、平面だろうがなんだろうか、彼の美しいお顔を前にして深呼吸しておけばなんとなく空気がおいしいような気さえした。でも、だってそんなのきっと錯覚なんかじゃない。

それはまるで、一瞬にして「平野紫耀」という名の宮殿に招き入れられたような気分だった。この世で手に入れられる贅の限りを尽くしたような美の宮殿。どの位置から、どの角度から見ても見渡す限りの豪華絢爛。その宮殿なら庭に生えた雑草も、柱にかぶった埃も、なにもかもすべてが高貴なもののように思えてくる。

ルーブル美術館に飾られた名だたる絵画の数々や、グランドキャニオンから見下ろす雄大な絶景なんて、もはや神がこの世に産み落とした「平野紫耀」という森羅万象を凌駕する奇跡のような美にはとても敵いっこないというわけだ。

 

そこで我に返ってはっとした。ファンタジーのような世界から、やっと現実に戻ってくる。それでも目の前の美には変わらず圧倒されたままで、わたしはゆっくりと雑誌のそばに近づいてみる。遠巻きに見ていても美しいのに、間近で見ても美しい。これってなんて素晴らしい美の結晶なのかとくらくらする。

肉食動物のような獰猛さを孕みながら、草食動物のような繊細さすら携える。彼はいったい何者なんだ。わたしは問う。誰かが優しく答える。彼は何者でもない、ただ「平野紫耀」という名古屋が産んだスーパー天使ちゃんですよ。

 

そして、わたしはその圧倒的な美をお手軽に腕に抱えていつの間にかレジへと並んでいる。現実に帰ってきたつもりなのに、またいつのまにかファンタジーの世界に舞い戻っている。いまクレジットカードを差し出しているこの瞬間すら、もしかしたらファンタジーなのかもしれない、なんて途方もないことを考えながら、わたしはずっしりした荷物を抱え、すごすごと紀伊○屋を後にする。

 

それが夏の終わり、秋の気配が近づいてきたある日の仕事帰りにわたしがみた夢の話である。

 

それにしても書店にうっかり立ち寄ったがためにこの儀式が、彼の主演映画が皮切りになるたびに、盛大な雑誌祭りが開催されるたびに、厳かに執り行われることになるのかと思うと正直しんどい、身体が持たない。この暴力にわたしは何度も屈してしまうのか、脅威だ、そんなのあっという間にKOするしかない、何年経ってもいくつになっても、彼は肉食動物と草食動物を繰り返しわたしたちに見せつけながら、その腰につけたチャンピオンベルトをきっと譲ってはくれない。

 

ああ、これはとってもしんどい。

 

ここまで長々と書き連ねてきて、ふと思う。夜道を歩きながら、このどうしようもないとりとめのない思いの丈を、一言で表す素晴らしいフレーズがふと浮かんだ。

 

「しんどい。」

 

そう、ダラダラとまとまらない文章をここまで延々と文字に起こしてきた結果、この四文字以上に最適な言葉など存在しないということ気づいたのだ。では、ここまで盛大にのらりくらりと道をそれまくってきたこの文章はいったいなんだったのだ。わたしは問う。必死に問う。けれどもさすがに、この疑問には誰も答えてはくれなかった。

岸優太と16ミリフィルムの世界

 映画好きの岸くんがこれまで「観た」と発言してきた映画をまとめてみました。個人的な映画の感想も含む。岸くんとの関連度を考慮して、上位のほうがおすすめ度高めです。

 

☆以下、「観た」というか「好き」と公言しているので必見です

 

 

ギルバート・グレイプ

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【ノスタルジックな青春ドラマ】過食症の母、知的障害の弟を抱え、小さな町から出ることなく家族のために生きてきた青年が、自身の幸せや生き方について見つめ直していく。1993年、アメリカ。
・90年代映画が好きだというなかに挙げられた作品のひとつ(18.12 女性ファッション誌)
・岸くん大好きなディカプリオの大出世作
・ジョニデ主演だけど何より弟役の我らがディカプリオの名演が素晴らしい。
・ディカプリオ演じるアーニーがとにかく卒倒するレベルに可愛いので、世の女性はみんな18年前に男の子産んだっけな?という錯覚に陥ってしまう
・とにもかくにもディカプリオ

 

 

「マイ・フレンド・フォーエバー」


発掘!シネマタイム#10「マイ・フレンド・フォーエバー」


【感動系子どもの友情ドラマ】HIVに感染した少年と、必死に彼を救おうとする親友エリックの友情を描いた感動作。1995年、アメリカ。
・「3回くらい観てるけどそれでも泣いちゃう」(18.9 ドル誌)
ブラッド・レンフロ美少年
エイズに侵された友だちを救いたい一心で無茶しちゃう主人公のひたむきさ、儚さ、幼さが繊細に描かれていて、泣かないって決めていてもやっぱり最後は平伏して泣く
・靴を使ったラストの作り方は大変に秀逸

 

 

「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」


グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち - 予告編


【感動系ヒューマン・ドラマ】過去のトラウマから心を開くことができず非行に走る天才少年と、心理学者の交流を描く。1998年、アメリカ。
・90年代映画が好きだというなかに挙げられた作品のひとつ(18.12 女性ファッション誌)
・1998年アカデミー脚本賞受賞
・今はベテラン俳優として活躍するマット・デイモン×ベン・アフレックの若い才能があふれた作品
ロビン・ウィリアムズのアドリブだという「おなら」のエピソードがとくに好き

 

 

彼女がその名を知らない鳥たち


【映画 予告編】 彼女がその名を知らない鳥たち(本予告)


【ヒューマン・サスペンス】同居する男に嫌悪感を抱きつつ依存から抜け出せない女と、彼女を執拗に愛し続ける男、ふたりの捻れた関係を軸に究極の愛とは何かを問いかける。2017年、日本。
・「阿部サダヲさんと蒼井優さんの演技がすごかった」(18.9 ドル誌)
・「超お勧めの映画教えて」という廉さんに勧めた作品(19.4 映画誌)
・2018年に観た邦画ベストワン(18.12 映画誌)

 

 

ニュー・シネマ・パラダイス


映画「ニュー・シネマ・パラダイス完全オリジナル版」日本版劇場予告


【感動系ヒューマン・ドラマ】映画監督として成功を収めた主人公が、映画に魅せられた少年時代、映写技師と育んだ友情、儚くも熱くたぎった初恋、故郷との別れを回顧する物語。1988年、イタリア。
・超有名作だが2018年初見にて、2018年洋画ベストワン(18.12 映画誌)
・1990年アカデミー外国語映画賞受賞、1989年カンヌ映画祭グランプリ
モリコーネの音楽がこの映画の感傷と郷愁をより深くさせてくれる
・ラストシーンは涙なしには絶対絶対絶対観られない

 

 

ラ・ラ・ランド


「ラ・ラ・ランド」本予告


【ミュージカル・ラブロマンス】売れない女優と場末のジャズピアニストが夢を追いながら恋に落ちていくラブストーリー。2017年、アメリカ。
・「イワゲンとユニット組んで一緒にやりたい」と言い出すも、なぜか岩橋くんとふたりしてヒロイン役の取り合いになる(17.3 ドル誌)
・ちなみに2回観に行った
・2017年アカデミー監督賞他受賞、2016年ゴールデングローブ賞作品賞他受賞
・LAでそれぞれ夢を追う男女が出逢い、恋に落ち、それぞれの夢に破れ、それでも夢を追う恋愛ミュージカル。
・現代までのミュージカル映画のオマージュがふんだんに盛り込まれており、映画オタクには垂涎ものです。

 

 

ジャージー・ボーイズ


映画『ジャージー・ボーイズ』予告編(ロングバージョン)【HD】 2014年9月27日公開


【ミュージカル伝記映画】シェリー」や「君の瞳に恋してる」等の名曲を世に送り出したバンド・フォーシーズンズが誕生し、成功を収め、解散するまでのドラマを名曲と共に綴る。2014年、アメリカ。
優勝で日本版の舞台を鑑賞したと近況報告したときに「元々映画版が好きで」(18.10 舞台情報誌)
・ブロードウェイの人気ミュージカルを映画化したもの

 

 

キャプテン・フィリップス


『キャプテン・フィリップス』予告編


【ノンフィクション・サスペンス】船員の救出と引き換えに四日間にわたって海賊の人質となった船長の運命と、海軍特殊部隊ネイビーシールズによる救出作戦を、緊張感あふれる演出で活写する。2013年、アメリカ。
・彼女とのおうちデートではじぶんが面白かった映画を観たいのでこれを選ぶ(19.7 女性ファッション誌)
ソマリアの海賊に襲われた貨物船の船長が決死の覚悟で脱出したり捕まったりするまあまあなかなかに暗い映画

 

 

タイタニック


「タイタニック」2012.9.28(金) 3D・2Dブルーレイ ON SALE!


【歴史的悲劇のラブロマンス】1912年に実際に起きた英国客船タイタニック号沈没事故をもとに、美しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いている。1997年、アメリカ。
・「最近久々に観たので髪型を真似している」(17.12 コンMC)
・「この頃のディカプリオの髪形や服装が好き」(18.12 女性ファッション誌)
・おそらく舞台演出の参考として再見したと思われるが初見がいつなのかは特定できず
・言わずもがな恋愛映画の名作中の名作

 

 

 ☆以下、最近観た発言程度の作品なので、そこまで重要ではないです

 


羅生門

 

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【重厚なモノクロサスペンス】平安時代の乱世のなか、ある変死事件の目撃者や関係者がそれぞれ食い違った証言をする姿をそれぞれの視点から描き、人間のエゴイズムを鋭く追及した。1950年、日本


七人の侍

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【アクション時代劇】戦国時代、野武士の略奪行為により困窮した百姓に雇われる形で集まることとなった七人の侍たちが、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士一団と戦う物語。1954年、日本。

・絶賛映画お勉強中だった2018年、鑑賞した(18.12 映画誌)
・日本映画界の巨匠黒澤明監督の名作二作
・1952年アカデミー外国語映画賞受賞(羅生門)
・映像が渋い、三船敏郎かっこいい、時々とんちが面白い、が、「七人の侍」はとにかく長い

 

 

「いまを生きる」

 

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【青春系ヒューマン・ドラマ】厳格な名門校に赴任してきた新米教師の型破りな指導によって心を開いていく生徒たちが、自らの生き方や夢を見いだそうとする。1989年、アメリカ。
ちゃかちゃんたちが出演していた映画原作の舞台を観劇した際に報告あり(18.10 DYK)
・名優ロビン・ウィリアムズが放つ教師と生徒の感動のストーリー
・人生の素晴らしさを説く教師と、その言葉に感銘を受け、人生を謳歌する生徒たち。

 

 

「その夜の侍」


「その夜の侍」予告編


【ヒューマン・サスペンス】轢き逃げ事件の犠牲になった妻の復讐に燃える男と、その事件を引き起こし、刑務所から出てきた男の対峙を重厚なタッチで紡ぎだす。2012年、日本。
・最近観た映画として挙げる(18.9 ドル誌)
・こういう「シリアスですさまじいヒューマンストーリーに挑戦したい」(18.10 ドル誌)
・事故で妻を殺された男(堺雅人)と事故を引き起こしてのうのうと生きるクズ男(山田孝之)が最終的に戦う重く暗くヘビーな割に結構トンチキな日本映画

 

 

「アフタースクール」


『アフタースクール』 予告篇


【どんでん返しミステリー】30代になった、かつての同級生たちが織り成す“大人の放課後”を、細部まで練り込まれた脚本と巧みな構成で描く。2008年、日本。


ぱいかじ南海作戦


映画『ぱいかじ南海作戦』予告編


【脱力系ヒューマン・コメディ】失業と離婚を同じタイミングで経験した主人公が、気分転換に訪れた南の島で繰り広げるサバイバル生活や、島で出会った仲間たちとの交流を描くコメディ。2012年、日本。
・「大泉洋さんや阿部サダヲさん、ムロツヨシさん、濱田岳さんみたいに、二枚目も三枚目もできて、引出しがたくさんある、そんな役者になりたいです」(18.12 女性ファッション誌)
・岸くんは恐らく大泉洋さんや阿部サダヲさんの出演作品を多く鑑賞していると思われる
・まったく個人的なコメントですが、「アフタースクール」の内田けんじ監督は邦画界においでどんでん返しの質がとても高く、監督作品は少ないですが絶対に観て後悔はないのでお勧めです。

 

 

リアル・スティール


『リアル・スティール』予告編


【感動系SFアクションドラマ】ボクシングの主役が生身の人間からロボットに移行した時代、リングにすべてを懸けた父と息子の起死回生のドラマを描く。2011年、アメリカ。
・「岸くんは映画が好きで詳しいからいろいろ教えてもらう」ながつが勧められた作品(17.10 テレビ誌)
・ロボットの格闘技映画なので、時期的に「大江戸ロボコン」撮入に伴い鑑賞したのではないかと思われる

 


☆ 他者からのたれ込みや出典元不明のためそんなに重要ではなさそうな映画たち

 

「グリーンブック」


【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告


【ポップで心温まるロードムービー黒人ピアニストと彼に雇われた白人の用心棒兼運転手が衝突しあいながらも、黒人用ガイドブック「グリーンブック」を手に人種差別が残るアメリカ南部を巡り、友情を深めていく。2018年、アメリカ。
・キャラメルと塩のポップコーンを半分こしながら観た優勝(19.4 VICTORY ROADS)
・2019年アカデミー作品賞受賞作品
・観たらフライドチキンが食べたくなる映画

 

 

アベンジャーズ


『アベンジャーズ』予告編


【ヒーローアクション】特殊な戦闘力を誇る者たち(アイアンマン、ソー、ハルク、キャプテン・アメリカ等)が一同に会し編成されたチーム「アベンジャーズ」が地球滅亡の危機を回避する戦いに身を投じる。2012年、アメリ
・3D眼鏡にテンションあがりながら優勝で鑑賞(12.8 しょりさんコンMC)
・みんな大好きマーベルヒーロー大集合の映画

 

 

インターステラー


映画『インターステラー』最新予告編


【感動系SFドラマ】人類滅亡が刻々と迫る近未来、地球に残した家族を憂慮しつつも地球を救うべく宇宙に旅立つ男が挑むことになるミッションとは… 2014年、アメリカ。
・挑戦してみたい作品ジャンルとしてSFの例に挙げる(出典元不明)
・結構に難解なので考察好きなひとにはおすすめ

 

 

劇場版ポケットモンスター ミュウと波導の勇者ルカリオ


2005年頃の ミュウと波導の勇者ルカリオ ポケモン映画 スペシャル情報


【バトルアニメ】幻のポケモンと呼ばれ、ポケモンのなかでもトップクラスの能力を誇るミュウと新ポケモンルカリオを描くアドバンスジェネレーションシリーズ第三弾。2005年、日本。
・岸くんが人生ではじめて観た映画(14.12 エンタメ誌)

 

 

「きっと、うまくいく」


映画『きっと、うまくいく』(5/18公開)特別映像【公式】ボリウッド4


ボリウッドのコメディドラマ】入学したインドのエリート大学で友人たちと青春を謳歌していた主人公が突然姿を消した謎と理由を、10年という年月を交錯させながら解き明かしていく。2013年、インド。
・「最近よく岸くんとDVDで映画を観てる」ながつの発言(18.3 ドル誌)
・踊ったり笑ったり泣けたりするインド映画
・騙されたと思って観てみてほしい、ほんとうにいい映画

 

 

その他にも岸くんが観たと発言している映画は以下のとおりです。


「TAXi」
「42~世界を変えた男~」
「アンコール!!」
「パパが遺した物語」

友罪
「予告犯」
土竜の唄 潜入捜査官REIJI」
「手紙」
「ALWAYS~三丁目の夕日~」
空飛ぶタイヤ
近キョリ恋愛

テルマエ・ロマエ

ぼくは明日、昨日のきみとデートする

「岸くんの言葉には魔法がかけられている」

たとえば車窓に切り取られた雲の流れを眺めて心惹かれることがあるように、ふいに紡がれた「言葉」というものはその一瞬にしか生まれないからいつだって大切にしたくなる。

それが大切なひとの「言葉」ならなおさら。一言も聞き漏らしたくないし、発されたその「言葉」の奥にある本心を、どうか垣間見れないかと貪欲にも願ってしまう。期待してしまう。そんな欲深いわたしの、岸くんの「言葉」について感じることを今回も徒然と気持ちの赴くままに書き連ねていきたいと思う。

 

わたしは常日頃から、「岸くんの言葉には魔法がかけられている」と思っている。それはもう本気で。岸くん自身が魔法をかけている側として。岸くんって、言葉でファンを魅了する魔法使いなんだな、とわりと真面目に信じ込んでいるヤバいオタクなのですわたしって。

岸くんの魔法って、次々と言葉が飛び出してくるような量産型の魔法でも、その場にふさわしく美しい言葉が紡がれるような上等の魔法でも決してないのだけど、確かに幽玄的にわたしたちの前に存在している。というのも、「いやおれまじでバカなんで! 難しい魔法とか、高等な魔術とか、全然使えないんっすよまじで!」なんて子どもみたいに愛らしいお顔にデカデカと書いておきながら、彼の扱う魔法は実はとんでもなく強い魔力を孕んでいるわけである。
だってその魔力でファンはたやすく恋に落ちるし、精神が浄化されるし、即効性のある栄養ドリンクみたいにみるみるやる気に満ち溢れては、はたまた強力な中毒性のドラッグみたいに今なら何でもできてしまうような錯覚に陥ることさえある(※しかも実際にできる)

 

そんな彼の言葉の魔法がとりわけ秀逸に光っていると感じるのは、岸くんがじぶんについて切々と語っているとき。岸くんが語る岸くん像、それってどんな宇宙の神秘より、複雑怪奇なパズルより、ファンが解き明かしたい孤高の方程式。岸くんが客観的に自分自身を見つめ、言葉を選んで紡ぎ出すとき、岸くんの言葉にはすでに魔法がかけられている。
雑っぽくぞんざいで、それでいて、自分を突き放したようにも聞こえるシビアなその表現は、即興でありながらさすがまことに言い得て妙で、なるほどと感心させられるものがある。

 

「とにかく動いてないと、血液が回らなくてダメな感じがするんですよね」(SODA 2019.7月号)

 

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何かしら動いていないと、脳みそも働かないし身体も鈍って人間としてダメになっていくような気がする。その感覚はものすごくわかる。痛いほどよくわかる。
でも、なんといえばいいのかな。この言葉に出逢ったとき、月並みな表現だけどわたしの頭には稲妻が落ちて来たんだと思った。いろんな小さな稲妻が合わさって、それはもう大きな大きな衝撃だった。

 

・彼がその一文に潜ませた自画像。
・彼がそういうポリシーを胸にここまできたんだという実感。
・彼にしか生み出せない独特の表現。

 

これらみっつの稲妻が重なったときの衝撃と言ったら、まったく想像を絶するようなものだ。まるで未曾有の大惨事だ。

「動き続けないとダメになってしまう」という、岸くんが語る岸くん像。この一文を以てして「自分とはこういう人間なんですよ」と暗に発信していることに驚かされる。本人にしてみれば、だから総じておれはダメな奴、と単にじぶんを卑下した発言だったのかもしれない、けれど、たとえば岸くんは、じぶんがダメになってしまう地雷がどこに埋まっているかをきちんと把握していて、その上でその地雷を踏まないように注意深く進もうとする。そんな岸くんのストイックさと思慮深さには、もう感服しきりだよ、とわたしは思う。
だからこそ、そのポリシーをしっかりがっしり健気に抱いて、岸優太というアイドルはここまで走り続けてきたんだな、と。アイドリングの姿勢をずっと崩さずに、いつでもスタートが切れるように体勢を整えて。つねに準備万端の姿勢で。ずっと熱心でずっと頑張りやさんだった彼のそんな一面に、わたしはつい胸がいっぱいになるし、とにかくただただその場にひれ伏したくなる。

そしてさらに驚くべきだったのは、ここで岸くんの口から出てきた「血液が回らない」。心底驚いた、だって待って、それっていつどこで比喩の神様・村上春樹が使っていたワードなんですか?
ここまでに述べてきた彼の人間性だの、ポリシーだの唸らされていたところに、この一文の美しさには言葉すら失ってしまった。思わず二度見して聞き返したくなるくらい、卓越したレトリックを持ち合わせているひとだと思った。この一文は、ここ最近でわたしがいちばん震えた一文だった。

 

 

「ホントに俺ミジンコなんです。スキルもメンタルも顕微鏡で見なきゃわからない小ささなんで」 (STORY 2018.6月号)

 

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彼はよく「ミジンコ」という単語を多用する。スキルや、器や、魅力や、その他諸々じぶんの身を包むすべてを「ちっぽけ」と表す上で非常に頻繁に使っているように思う(岸くんへの評価が、主観と客観でまったく異なる点は置いておいて)

彼がそれこそ自身の諸々を語るとき、「未熟中の未熟」だとか「足りないものは全部」だとか、ストイックさを感じることがたびたびある。ただ、それらが「ミジンコ」とは大きく異なるのは、前者がじぶんの能力や長所やアピールすべきポイントを理解した上で、その目標を見上げて口にできる言葉であるのに対して、後者の「ミジンコ」はあくまでじぶんの価値を低く見積もっているだけのような気がする。それが滲み出ているか否か、の違いだと思う。
そういう意味で彼が「ミジンコ」という単語を好んで引用することも、それをどんな場面で用いるか見定めていることも、たいへんに興味深くて、好奇的で、かわいくて、なんて恐ろしい。「ミジンコ」なんて的確な表現、いったいどこで身に付けたのだろう。そんな使い勝手のいい慣用句なんてあっただろうか。

 

ともあれ彼の比喩表現には彼にしか醸し出せない独創性があって、選び抜かれて発せられた単語には彼なりの解釈があって、「その状況でこのフレーズを使ってくるか…」とこちらをまるで対戦者の一手に顎に手を当て唸る棋士になったような気分させてくれるところまでも、彼のそれは本当に天性の才能なんじゃないかと思ってしまう。

さりげない岸くんの感性に、語彙力に、言葉選びに、ハッとさせられることはたくさんある。彼にしか生み落とすことのできない岸くんの「言葉」っていうのは、なんでもない言葉のように見えて実は底が見えないくらいにとんでもなく深い。

何故そんなに深いのか?
それはもちろん、「岸くんの言葉には魔法がかけられている」からさ。

何の変哲もないありふれた単語なのに、彼が口にするだけでそれが途端にキラキラしはじめる。一見ただのトンチキ発言なのに、磨きだすと実は誰もが羨む宝石のような価値さえ見いだせる気さえする。
彼のなんでもないような言葉を掘り下げると、そのままものすごく深い沼にハマってしまうと思うので、その片鱗が見えたファンがいたならいったん覚悟しておいたほうがいい。わたしは大丈夫、シンデレラガールですから! なんてたかをくくったところで、ビビデバビデブーくらいじゃまったく太刀打ちできないと思うんで。いや、ほんとに。