岸優太を哲学したい

映画オタクが岸くん沼にはまるとこんなことを考えますの典型

「岸くんの言葉には魔法がかけられている」

たとえば車窓に切り取られた雲の流れを眺めて心惹かれることがあるように、ふいに紡がれた「言葉」というものはその一瞬にしか生まれないからいつだって大切にしたくなる。

それが大切なひとの「言葉」ならなおさら。一言も聞き漏らしたくないし、発されたその「言葉」の奥にある本心を、どうか垣間見れないかと貪欲にも願ってしまう。期待してしまう。そんな欲深いわたしの、岸くんの「言葉」について感じることを今回も徒然と気持ちの赴くままに書き連ねていきたいと思う。

 

わたしは常日頃から、「岸くんの言葉には魔法がかけられている」と思っている。それはもう本気で。岸くん自身が魔法をかけている側として。岸くんって、言葉でファンを魅了する魔法使いなんだな、とわりと真面目に信じ込んでいるヤバいオタクなのですわたしって。

岸くんの魔法って、次々と言葉が飛び出してくるような量産型の魔法でも、その場にふさわしく美しい言葉が紡がれるような上等の魔法でも決してないのだけど、確かに幽玄的にわたしたちの前に存在している。というのも、「いやおれまじでバカなんで! 難しい魔法とか、高等な魔術とか、全然使えないんっすよまじで!」なんて子どもみたいに愛らしいお顔にデカデカと書いておきながら、彼の扱う魔法は実はとんでもなく強い魔力を孕んでいるわけである。
だってその魔力でファンはたやすく恋に落ちるし、精神が浄化されるし、即効性のある栄養ドリンクみたいにみるみるやる気に満ち溢れては、はたまた強力な中毒性のドラッグみたいに今なら何でもできてしまうような錯覚に陥ることさえある(※しかも実際にできる)

 

そんな彼の言葉の魔法がとりわけ秀逸に光っていると感じるのは、岸くんがじぶんについて切々と語っているとき。岸くんが語る岸くん像、それってどんな宇宙の神秘より、複雑怪奇なパズルより、ファンが解き明かしたい孤高の方程式。岸くんが客観的に自分自身を見つめ、言葉を選んで紡ぎ出すとき、岸くんの言葉にはすでに魔法がかけられている。
雑っぽくぞんざいで、それでいて、自分を突き放したようにも聞こえるシビアなその表現は、即興でありながらさすがまことに言い得て妙で、なるほどと感心させられるものがある。

 

「とにかく動いてないと、血液が回らなくてダメな感じがするんですよね」(SODA 2019.7月号)

 

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何かしら動いていないと、脳みそも働かないし身体も鈍って人間としてダメになっていくような気がする。その感覚はものすごくわかる。痛いほどよくわかる。
でも、なんといえばいいのかな。この言葉に出逢ったとき、月並みな表現だけどわたしの頭には稲妻が落ちて来たんだと思った。いろんな小さな稲妻が合わさって、それはもう大きな大きな衝撃だった。

 

・彼がその一文に潜ませた自画像。
・彼がそういうポリシーを胸にここまできたんだという実感。
・彼にしか生み出せない独特の表現。

 

これらみっつの稲妻が重なったときの衝撃と言ったら、まったく想像を絶するようなものだ。まるで未曾有の大惨事だ。

「動き続けないとダメになってしまう」という、岸くんが語る岸くん像。この一文を以てして「自分とはこういう人間なんですよ」と暗に発信していることに驚かされる。本人にしてみれば、だから総じておれはダメな奴、と単にじぶんを卑下した発言だったのかもしれない、けれど、たとえば岸くんは、じぶんがダメになってしまう地雷がどこに埋まっているかをきちんと把握していて、その上でその地雷を踏まないように注意深く進もうとする。そんな岸くんのストイックさと思慮深さには、もう感服しきりだよ、とわたしは思う。
だからこそ、そのポリシーをしっかりがっしり健気に抱いて、岸優太というアイドルはここまで走り続けてきたんだな、と。アイドリングの姿勢をずっと崩さずに、いつでもスタートが切れるように体勢を整えて。つねに準備万端の姿勢で。ずっと熱心でずっと頑張りやさんだった彼のそんな一面に、わたしはつい胸がいっぱいになるし、とにかくただただその場にひれ伏したくなる。

そしてさらに驚くべきだったのは、ここで岸くんの口から出てきた「血液が回らない」。心底驚いた、だって待って、それっていつどこで比喩の神様・村上春樹が使っていたワードなんですか?
ここまでに述べてきた彼の人間性だの、ポリシーだの唸らされていたところに、この一文の美しさには言葉すら失ってしまった。思わず二度見して聞き返したくなるくらい、卓越したレトリックを持ち合わせているひとだと思った。この一文は、ここ最近でわたしがいちばん震えた一文だった。

 

 

「ホントに俺ミジンコなんです。スキルもメンタルも顕微鏡で見なきゃわからない小ささなんで」 (STORY 2018.6月号)

 

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彼はよく「ミジンコ」という単語を多用する。スキルや、器や、魅力や、その他諸々じぶんの身を包むすべてを「ちっぽけ」と表す上で非常に頻繁に使っているように思う(岸くんへの評価が、主観と客観でまったく異なる点は置いておいて)

彼がそれこそ自身の諸々を語るとき、「未熟中の未熟」だとか「足りないものは全部」だとか、ストイックさを感じることがたびたびある。ただ、それらが「ミジンコ」とは大きく異なるのは、前者がじぶんの能力や長所やアピールすべきポイントを理解した上で、その目標を見上げて口にできる言葉であるのに対して、後者の「ミジンコ」はあくまでじぶんの価値を低く見積もっているだけのような気がする。それが滲み出ているか否か、の違いだと思う。
そういう意味で彼が「ミジンコ」という単語を好んで引用することも、それをどんな場面で用いるか見定めていることも、たいへんに興味深くて、好奇的で、かわいくて、なんて恐ろしい。「ミジンコ」なんて的確な表現、いったいどこで身に付けたのだろう。そんな使い勝手のいい慣用句なんてあっただろうか。

 

ともあれ彼の比喩表現には彼にしか醸し出せない独創性があって、選び抜かれて発せられた単語には彼なりの解釈があって、「その状況でこのフレーズを使ってくるか…」とこちらをまるで対戦者の一手に顎に手を当て唸る棋士になったような気分させてくれるところまでも、彼のそれは本当に天性の才能なんじゃないかと思ってしまう。

さりげない岸くんの感性に、語彙力に、言葉選びに、ハッとさせられることはたくさんある。彼にしか生み落とすことのできない岸くんの「言葉」っていうのは、なんでもない言葉のように見えて実は底が見えないくらいにとんでもなく深い。

何故そんなに深いのか?
それはもちろん、「岸くんの言葉には魔法がかけられている」からさ。

何の変哲もないありふれた単語なのに、彼が口にするだけでそれが途端にキラキラしはじめる。一見ただのトンチキ発言なのに、磨きだすと実は誰もが羨む宝石のような価値さえ見いだせる気さえする。
彼のなんでもないような言葉を掘り下げると、そのままものすごく深い沼にハマってしまうと思うので、その片鱗が見えたファンがいたならいったん覚悟しておいたほうがいい。わたしは大丈夫、シンデレラガールですから! なんてたかをくくったところで、ビビデバビデブーくらいじゃまったく太刀打ちできないと思うんで。いや、ほんとに。