岸優太を哲学したい

映画オタクが岸くん沼にはまるとこんなことを考えますの典型

エースが背負う「かばん」と、最年長が抱える「かばん」

「変化」は「お守り」のようなもの、と彼は言った。

 

デビューして一年。MOREで取り上げられた特集の見出しは「Change it! 変わり、変わらず、変わらせず」。自分たちでは変わることも、変わらないことも、恐らく全く意識できなかったであろう躍動の一年を経た彼らにつけられたコピーは、非常に興味深いものだった。

 

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「今の自分に満足していないからこそ、僕は常に『変わりたい』と思っています」

 

この時期、何度も提示されたであろう「変化」というテーマの中で、岸くんは淡々とそう語っている。「変わりたいけど、変われない」。まるで、ジレンマという名の砂漠をさ迷い歩いているかような彼の言葉に、いつかドキュメンタリー番組の中で一心不乱に踊り続けていた彼の姿がぼんやりと浮かんだ。
彼の「変化」に対する概念には、彼が持つ、常に現状に納得しないストイックさにどこか重なるところがある。「場数」や「経験値」という単語を幾度となく口にしてきた彼が、貪欲に追い求めてきたもの。それこそが「変化」、いわば「成長」であり、彼にとって何かに挑戦し続けるために必要な、精神的支柱となっているのかもしれない。

 

だからこそ喩えられた、彼にとっての「お守り」。「変わることができた」という達成感があるからこそ自分を鼓舞し、前に進んでいくことができる。それは彼の身に置き換えて言えば英会話。そして筋トレ。演技の仕事があれば一日に何本も狂ったように映画を観るし、宇宙に関するテレビ番組の出演が決まれば天文学について寝る間も惜しんで勉強する。彼はそういう人だ。それができる人だ。これまでそれを後押しする原動力になってきたのが、彼が求め続けている「変化」だったのだろう。

 

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対して、我らがエース・平野くんの「変化」の概念は、岸くんとは全く異なっている。

 

「僕にとって、『変化』は怖いもの。ずっと『変わらない自分』でいたい」

 

私が思うに、平野くんはずっと、ありとあらゆるものがめまぐるしく変わる環境に身を置いてきた人だ。自分の身の回りのものが変わりゆくことは、嫌がるものでなく、拒むものでもなく、「怖いもの」。それは家族だったり、友人だったり、大切な人との出会いと別れでもあったし、グループや、拠点や、自分が身を置くコミュニティの移り変わりでもあった。環境とともに変化する自分への接遇の違いにも、ひどく心を痛め続けたに違いない。
変わりゆく世界に身を投じ、彼が抱いた理想はあまりに質素。ただ、「変わらない」こと。シンプルにたったひとつそれだけなのに、これから時代のアイコンを担って生きていく彼にとってそれがいかに難しいことなのかと思うと、非常に胸が痛くなった。しかし、彼は賢いので、そうした自分の使命や存在意義を理解したうえで言葉にしているのではないか。そう思うとよりいっそう切なくて、もどかしくて、彼が愛しくて愛しくて仕方なく思えた。

 

「変化」よりも「いつまでも子供心を忘れない大人でありたい」という夢を嬉しそうに語る彼にとって、「紫耀はいつまでも変わらないね」そんな何気ない一言こそが、最高の誉め言葉であり、また、いつだって自分を安心させてくれる魔法の呪文にもなるのだろう。

 

「ずっと『変わらない自分』でいたい」と「変化」を恐れるエースに対し、「いっそ『生まれ変わりたい』と思うほど」と「変化」を渇望する最年長。この対比は強く印象に残った。
「変わりたくない」と思う人間と「変わりたい」と思う人間がいて、それはどちらも前向きで純粋で真っ当に相違なく、どちらが正しいなんてことはない。ただ、同じ環境に身を置く者どうしが「変化」というひとつのテーマに対してこんなにも対極の思いを抱くのか、と興味をひかれたことは確かである。

 

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ふたりのテキストを読み比べているうちに、私の頭の中に「ポテンシャル」と「スキル」というふたつの単語がふいに浮かび上がってきた。似ているようで、全く異なるふたつの言葉。まるで、すぐそばにあるのに、川を挟んで向こう岸にあるような距離感を持ったこの言葉たちが、彼らのテキストからじわじわとあぶりだされてくる感覚だった。

 

「ポテンシャル」とは、簡単に言えば潜在能力のことである。誰もが本質的に持っているもの。そして、何かしらの作用によって引き出されるもの。対して「スキル」とは、自身の鍛錬により獲得していく能力のことである。いわば先天的なものと後天的なもの。人が持つ能力としては同じだが、対となるような意味合いを持つ。

 

たとえば岸くんは、自身の「ポテンシャル」にすこぶる自信がない人なのだろうな、と思う。(と言うと、生粋のオタクであるが故、「そんなことない」「岸くんはすごい」「生きてるだけで勝ち組じゃん」と彼を肯定する台詞が瞬く間にいくらでもこぼれ出てくるのだけれども、ここではいったんそれを置いておくことにする)
生まれてからずっと肌身離さず持ち歩いてきた「自己」というかばんをひっくり返しても、きっと岸くん本人が「欲しい」と熱望していたものはなにひとつそこにない。私たちにとっては眩しくて、羨ましくて、世界にふたつとない宝物ばかりだとしても、持ち主の彼にしてみれば、きっとそれはただのガラクタにすぎない。私たちには中身に必要なものが十分すぎるほど揃っているように思えても、やはり持ち主の彼にしてみれば、まだまだ足りない、満たされない、と感じるのだろう。
だから彼は、そのかばんをどうにかいっぱいにしたいと思っている。これ以上入らない、というほどにかばんが膨れてパンパンになってしまうまで、自分が「欲しい」と思ったものを彼はもっとたくさん、溢れんばかりに詰め込みたいのだ。
彼は自分の「ポテンシャル」に自信がない。だからこそ「スキル」で身につける過程の経験値と結果の達成感を、この世の何よりも信じて生きている。

 

対して平野くんは、「ポテンシャル」で勝負しようとする人だ。それはひとえに彼自身の「ポテンシャル」が高いからこそ為し得る芸当ではあるけれど、だからといって彼がおごったり、それをひけらかしたり、ということはまるでない。もしもそれが不完全であっても、彼は笑ってまるごと認めることのできる寛容がある。
たとえば、平野くんの「自己」のかばんの中身は、人がうらやむものであふれている。しかし、恐らく彼は、その中身がいかにみすぼらしいものだったとしても、すっからかんだったとしても、それを恥じたり、憂いたりはしないだろう。知恵を絞ってかばんに入っているものだけで生き抜こうとする。「スキル」を求めて買い足すことも時にはあるけれど、今あるもので充分だ、と満足できる人なのだと思う。
彼は「ポテンシャル」に頼って生きている。「スキル」の必要性も理解したうえで、その強さを持っていながら、変わりゆくこと、移ろいゆくものにひどくおびえている。

 

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「あなたはずっと変わらないね」
「最近、なんだか変わったね」

 

誰に対してももたらされるであろう、ありふれた一言。それが誰かにとって「お守り」になることもあれば、凶器になってしまうこともある。不思議だと思う。誰かはそれを喉から手が出るほど欲しがるし、誰かはそれを振りほどいてでも引き離そうとする。

 

「変化」っていったいなんなのだろう。

 

生きていくうえで逃れられないもの。ずっと付き合っていかなければならないもの。どれだけ願っても、一生「変わらないもの」などない。それくらい、どんなに小さな子どもにだってわかることだ。
だからこそ求めるし、恐れる。この先いつか、岸くんが「変わりたくない」と口にすることがあるかもしれないし、平野くんが「変わりたい」と口にする日が来るのかもしれない。とても考えられないようなことだけれど、絶対ないとは言い切れない。だって、それこそが「変化」なのだ。求めようが、恐れようが、意図しようが、しまいが、誰しもに降りかかるもの。私たちにも彼らにも、必ず分け隔てなく与えられる「変化」。そして、与える「変化」。

 

変わり、変わらず、変わらせず。一年経っても、二年経っても、それは必ず訪れる。彼らのかばんの中身は明日にはどんなふうに入れ替わっているのか。三年目を心待ちにしている。

 

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(MORE 2019年 8月号より引用)